同じ言葉で違う表現をするのが文系
ふと、というか、会話の端くれから思いついたのですが。
同じ言葉で違う表現をするのが文系
違う言葉で同じ表現をするのが理系
こんなことを思いついてみました。
あ、反論大歓迎ですよ。
ぼくはおそらく、いや、確実に理系ですけども、
理系が書く文章は論理的になりがちなんですよね。
ぼくの場合、論理的に書く方が楽なのです*1。
論理的な文章というのは、
「意味が明瞭で誤解されない」文章だと認識しています。
誰が読んでも同じ意味になるべきです。
そのためには、同じ言葉を冗長に繰り返すことを厭わず、
丁寧に文章を書く必要があります。
ところが、いくら論理的だと言っても、
そう同じ言葉が何度も繰り返されては読む方も退屈です。
だから、違う言葉で同じ表現をするんじゃないかな、と。
ふと思いついただけなので実例は挙がらないのですが。
理系の礎であろう数学を考えてみても合点がいきそうです。
数学では一つの対象に様々な「言い換え」や「変形」をして、
解に辿り着こうとしますからね。
一方、文系の人も「言い換え」は得意なのでしょうが、
あくまで筆者の主観ではありますが、
文系の「言い換え」は、ニュアンスを変えると思うのです。
すなわち、違う言葉で違う表現をしていると。
これまた根拠がないので恐縮ですが。
さて、小論文作成時にはよく言われることですが、
複数の意味を持つ言葉を使うな、と言われます。
小論文は論理的に書くべき文章なので、
読む人ごとに意味が違ってはいけないのです。
小論文と対比されるのは、作文です。
こちらは文系のテリトリーですよね。
比べられるぐらいですから、
作文では複数の意味を持つ言葉を使ってもいいのです。
つまり、同じ言葉で違う表現ができるのです。
よって、文系は同じ言葉で違う表現をすると。
短絡的な帰結ではありますが。
それで、ふとした思いつきなりにも若干下調べをしまして、
裏付けになりそうな記事を見つけたので、
勝手ですが紹介させてください。
理系の文章と文系の文章
なるほど、「こそあど」言葉が鍵になるわけですね。
「こそあど」があるのが文系、ないのが理系の文章だと。
「こそあど」というのは代名詞ですから、
言ってみれば、同じ言葉で違う表現ができる最たる言葉です。
するとやはり、冒頭の仮説はあってるんじゃないかな〜。
この仮説によると、人は文系と理系とに二分されるものではなく、
文系思考と理系思考を併せ持つ人や、どっちつかずな人も
存在し得るということになります。
我ながら、面白いアイデアかもしれない。
ただ、ここまで書いておいてなんですが、
こういった分類に意味はないと思うんですよね。
自分がどこに属するかがわかったとしても、
そのメリットをさほど感じられません。
偽装工作するときには役立つかもしれませんけど。
もし役に立ったら、反例として一報下さると嬉しいです。
*1:果たしてこのブログが本当に論理的であるかについては保証できませんが。