円周率と、3.14

円の面積を求める算数の問題が話題になっていて、
気になるけどスルーしよう、と思ってましたが、
まだけっこう熱がありそうなので、えいやっと書いてみるのです。


問題は次の通り。
まるまる引用はしたくないのですが、厳密性を期すために
そのまま転写します(引用元はあえて書きません)。

円周率を3.14とするとき、半径11の円の面積を求めよ。

答えとしては、11×11×3.14=379.94となっていて、
これは誤りだ、と提起者は主張しています。


ぼくの立ち位置としては、「379.94で正しい」です。
「約」も「およそ」も要りません。
「379.94で正しい」です。
以下、その理由を説明しましょう。


数学的な考え方というのは、論理学が基本となります。
論理を考えるためには、まず「命題」を用意しましょう。
命題とは、「真か偽かを客観的に判断できる文章*1」です。
「東京都の面積は3000平方km以上である」は命題です。
「東京都は広い」は命題ではありません。


ただし、ひとつ注意が必要で、
「広いとは、3000平方km以上のことである」という定義があるなら、
「東京都は広い」も命題になります。


もひとつ、実際にはGoogle先生によれば
東京都の面積は2188平方kmだそうなので、
「東京都の面積は3000平方km以上である」は偽となります。


さて、元の問題に戻りましょうか。

円周率を3.14とするとき、半径11の円の面積を求めよ。

ここには、3つの命題が存在するとぼくは捉えます。


命題A:「円周率は3.14である」
命題B:「半径は11である」
命題C:「円の面積は半径×半径×円周率である」


命題Aと命題Bについては明らかだと思いますが、
命題Cについては問題文では触れられていません。
しかし、授業で教わったことのみを用いなさい、という
小学校の慣習に従えば、円の面積はこれしかありえないでしょう*2


さて、この3つの命題から得られる結論は何でしょうか。
結論D:「円の面積は、11×11×3.14である」
概数など一切登場していませんから、答えは379.94です。
以上が、ぼくの主張です。



……ところで、何が議論の対象となっているのでしょう。
命題Aと命題Cの捉え方、についてでしょうね。
現実世界で考えるならば、命題Aは常に偽です。
また、もし円周率を近似した場合、命題Cも偽です。


円周と直径の比である円周率は、
\piと表される超越数に一意に定まります。
ですから、それ以外の値を用いても、
真の意味での円の面積は算出できません。


つまり、379.94というのは現実世界における
半径11の円の面積にはなりえません。
このことが強く指摘されているのだと感じています。


前提となる命題Aと命題Cが偽である以上、
結論Dが真である保証はどこにもありません*3
今回の場合では結論Dも現実世界においては偽になります。


偽になったら価値はないのか?
偽となる結論は有害なのか?
これは、数学的に正しいやり方です。
少なくともぼくは、そう考えています。


数学的には正しいやり方なのですが、
「算数」は「数学」ではないので、そこは引っかかります。
この問題、一番スマートなのは、
円周率を「約3.14」と置くことだと思うのです。
でも、問題にいちゃもんをつけるのも、それはそれで。


数学と、科学・工学とでは、
誤差に対する意識がかなり違うと感じています。
ここからはぼくの体感による主張となってしまいますが。


数学は、誤差が「あるかないか」だけに着目し、
科学・工学は誤差の「大きさ」に着目します。
有効数字を用いて誤差を減らそうと試みるのは、
科学・工学の考え方です。


数学において近似するときは、
\pi\sim3.14ではなく、
\pi=3.14+\epsilonのように表すことが多いです。
その\epsilonが、時間経過とともに発散するのか収束するのか、
そういったことに興味がある印象です。


誤差というのは用いるけれど、微分積分や無限大の概念によって、
最終的には厳密な結果が得られるケースが多いです。
関数の変化量である微分を定義するのに、
2点間の傾きというところから極限を使って誤差を消していく感覚。


テイラー展開という概念も、
ある関数を無限項の単純な関数の足し合わせで表現しますが、
有限項で打ち切ってしまうことで誤差が生じるわけです。
打ち切る場合にも、誤差項というのを付け加えたりしますよね。


科学・工学は、立てたモデル式が
実際の実験データとどれだけ精度よく一致するか、が基本姿勢なので、
誤差を評価する学問という側面もありそうです。
科学は、より正確なモデルを作って真理に近づき、
工学は、そのモデルを活かすことで社会に役立てていきます。


例えば、円周率が3.14でいいや、と思って、
直径10kmの巨大な円形施設を設計したら、
その外壁の15m以上分の材料が不足してしまうわけで。
どこまでの誤差が許されるか、1cm単位で良いか、などを
意識した上で計算しなければなりません。


なので、単純に有効数字を使えば精度がよくなるわけではなく、
何桁まで有効桁を取るかが、当たり前ですけど本質ですね。
で、それを踏まえれば、最終結果が1の位までの精度をとるとして、
半径約11.0と円周率約3.14から面積約380が算出されます。

円周率を3.14とするとき、半径11の円の面積を求めよ。

小学生向けの問題ですから細かい議論は無駄かもですが、
この問題には「約」とか「およそ」とかの概数表示が一切なく、
11.0のような有効桁表示もないわけなので、
この点からもこの問題は数学として扱え、
誤差は存在しないとして扱えと、ぼくは感じるのですよね。


間違っていると考えられる前提から議論を始める
背理法」という証明手法が数学にはあります。
その前提から正しい議論を進めると、
途中で矛盾が生じ、前提が間違っていることが判明するので、
「前提の否定が正しい」と証明されます。


円周率を3.14とすると、
内接する多角形の辺の長さの合計が円周を超え、
それはおかしい、となるので、
円周率が3.14ではないことを証明できます。


ほら、円周率は3.14ではないじゃないか、
考えるだけ無駄じゃないか、
そういうスタンスではありません。
確かに円周率は3.14でない、ということが、
その前提から明らかになるわけです。


有効数字を使って誤差を評価するのが
科学・工学の正当な手法であるなら、
真偽の不明な命題を真と仮定して議論を進めるのは
数学の正当な手法です。
それを有害とされるのは、感情的に不愉快です。



……あ、というわけで、
別に「こっちが正しい!」と強く言いたいわけではなく、
現実に沿わない間違った前提や結果は有害だ、悪だという
考え方にイラっときただけなのでした。


たぶん、提起者の人たちには
これを読んでも理解してもらえないのでしょうけど、
ぼくはこういう理由で「379.94で正しい」*4の立ち位置を
とっているのだということが少しの人にでも伝わればいいなと。


ちなみにですが、
0÷0は定義できませんし、
かけ算の順序など好きに変えてください、
という立場の人間でした。


算数って、そんな厳しく正誤をつけなくても、
発想の仕方を身に付けるだけでいいのになと思う今日この頃。
数学よりも、算数の方が理不尽なことってよくあります。
もっとのびのびと楽しい、「数楽」みたいな感じでやれば、
ぼくみたいな数学好きは増えそうなのになあ*5

*1:文章というのは厳密性に欠けるかもですが。

*2:積分なんか使っては怒られますね……

*3:たまたま真になる場合はありえます。

*4:「が正しい」ではなく「で正しい」としてるのは、別に「約380」と答えてもこの問題ならいいのではないの? という見解に因ってます。「約」がないと難しいですが。

*5:実際、中学時代に「数楽」と言い張っていた数学教師がいて、少なからず影響は受けている模様。