「鍵括弧」 〜常識とはローカルルールだ〜

ええ、「正しくは」鉤括弧ですよ。
鉤状の、言葉を括る弧です*1
でもさ。


「鉤」でも「鍵」でも、どっちでもいいじゃないか。
"hook"に見える人もいれば、"key"に見える人もいるかもしれない。
命名された時代がもっと遅ければ、
「L括弧」と言う名称になっていたに違いないさ。


その用法だって、使い始めた人、
あるいはそれを広めた人がスタンダードなんです。
カギ括弧の場合、古くからの約物が変化したと言う起源があるために*2
「引用」あるいはその拡張である「強調」に用いられるんでしょう。
じゃ、その古い約物とやらの起源は?


いくら文献があろうとも、
どれだけの証拠を揃えようとも、
認めない人は認めないのです。
その資料の正当性を、正当に評価できないのですから。



……このところ、ふと思い立って
「魔法」と「魔術」の違いについて四六時中思考を巡らせていたのです。
数学を好む人の多くが定義を明らかにしようとするように、
ぼくもぼくで定義にはうるさい方なのです。


……で、もう混乱しまくりで。
調べれば調べるほどに、真反対の主張がなされているのです。
そもそも訳語だから違いはないと言う主張すらある。
様々な分類の共通点を抽象化しようにも、どうしても矛盾が出る。
なんとなくの結論としては、「魔法は概念で魔術は手順」なのですが、
それを正当化する術が、ぼく自身にもありません。


無理なんです。自然言語を論理的に捉えることは。
自然言語は多数の人間の集合知で、
論理は一組の公理系からできています。
無数の基準で成り立っているものを、1つの基準で表す。
無理です。再構築が必要です*3


だからこそ、「ローカルルール」で良いんですよ。
で、そこに定義を示せば良いんです。
定義を知らなければ、訊ねれば良いんです。
不足を訴えず、無知を咎めなければ、
何の問題にも至らないのです。



思えば、社会は肥大化した。
結局はそこに行き着くんでしょう。
村社会なら暗黙の了解で通ることが、
この広大な世界に通用するわけがないのです。


生涯、村さえも出なかった、
それが常識の時代もあった、のでしょうね。
今の時代の常識は、
適切にネットを操り、海さえ越えてコミュニケーションをする。
なんだよ、それ。


……というか、「カギ括弧」の話はどこへいったんだろう?



さて、最後に、
ぼく自身の「カギ括弧」のローカルルールを、
参考までに記してみたいと思います。


・会話や引用といった、他者の言葉を括る
・自身の発話に対しても同様に用いる
・注意喚起や印象付けしたい言葉を括る
・文脈の誤解がありそうな時に、意味分けとして用いる
・商品名やサイトタイトルなどを明示する
・会話中の会話以外には、基本的に二重カギ括弧との使い分けをしない
・カギ括弧終わりの句点は省略


もちろん、これを信じる必要はないし、
覚える必要もないです。
ある程度「常識」と呼ばれるものに通じているつもりですが、
「常識」そのものがローカルルールじゃないか、
そんな議論をさんざんにしてきたわけで。
煮るなり焼くなり人の勝手です。
ぼく自身、必ずそれを守る保証もないですし。


と、そんなところですね。
読み返してみると脈絡がおかしい気がしますけど、
伝えたいことが絞れていない感がひしひしと湧いてきますけど、
まあいいや。
不足があれば、訊ねてください。
……って、傲慢になっちゃあ本末転倒なんだけどなあ。

*1:弧っていうのは、丸みを持つべきですが。

*2:Wikipediaによると、ですけどね。

*3:再構築する場合には、何を(誰を)基準にするかという別の問題が生じます。無理です。