「覚えている」が正しい、のではない

「覚えている」というのは、
一般的に正しいことだと思われている。
その人を覚えていることは「信頼」につながるから。
約束を覚えていないことは「信用」を落とすことだから。


「信頼」や「信用」があるほど、
「都合の良いこと」は増えていく。
だから「信頼」や「信用」は正しい。
だから「覚えている」は正しい。


本当にそうか?
「覚えている」ことは正しいのか?


世界は、常に変わり続けている。
過去と今は違い、今と未来は違う。


人も、常に変わり続けている。
外見から好き嫌いから思想から、何から何まで。


「覚えている」が、枷になることはないか?
「良い記憶」は思わぬ罠へと誘い、
「悪い記憶」はチャンスを遠退ける。


覚えていなければ、創り出せる。
何のためらいもなく、創り出せる。
変わり続けられる。
活き続けられる。


むろん、これを書いたことも、
これを読んだことも、
近いうちにきれいさっぱり忘れていることだろう。
それを誰が咎められる?
人間の自然な行いを、誰が咎められる?


「覚えている」必要などない。
覚えていないことに卑屈にならなくていい。



……ただ、一つだけ覚えておいて欲しいことがあります。
変わらざるもの、死んだものを覚えていてください。
それらは、自分の存在を誰かに覚えさせることができないから。
あなたが覚えていれば、その価値はいつまでも活き続けます。