確率と量子力学と

前回の記事では「量子将棋」なるものを提案してみたのですが、
よくよく考えてみると、「量子」の名を冠するのは何か違うんじゃないかと、
そんな気がしてきました。


というのも、提案した「量子将棋」には確率的要素が含まれてないのです。
シュレディンガーの猫のような「2つ以上の状態の重ね合わせ」は含まれていますが、
「観測した瞬間にどれかに収束する」がないんですね。
そして、発想の元になった「量子人狼」の方には、
両方の特徴が含まれているわけです。


さらに、前回の記事の最後に「量子チェス」なんてのも書いてみましたが、
ぼくの提案するルールとは全くの別物ですが、なんと存在していました。
QuantumChessというものです。


これは、詳細なルールはよくわかってないですけど、
1つの駒に2つの駒の状態が設定されていて、
動かそうとするまでどちらの駒になるかわからない、というようなものです。
で、ハッキリ言って運ゲーなので、ぼくには相性の悪いゲームでした……
しかしやはり、「重ね合わせ」と「観測による収束」は併せ持っています。


そう考えると、ぼくの提案した変則的将棋は、
「量子将棋」というよりも「重ね合わせ将棋」みたいな名前の方が適してそうですね。
……とまあ、ここまでは前置きのようなものですが。


そうすると、「量子」ってのは一体何者なんだと。
そのためには「量子力学」に踏み込んでみる必要がありそうだと。
ただ、筆者は物理学が苦手というか、嫌いですので、
ここから先の議論は勘違いとか偏見とかが含まれると思います。
お足下に注意してご覧ください。

vs. 量子力学

量子力学と言えば、出発点はシュレディンガー方程式ですね。
始まったばかりですが、この時点で既に頭が痛いです。
もう、式なんて載せませんが、
波動関数」と呼ばれる関数に対する方程式です。
波動関数微分ハミルトニアンが……いや、
聞かなかったことにしてください。


で、その波動関数が、求めたい関数です。
なぜかというと、その波動関数がわかれば、
その物体の状態がわかるからです。
なんで物体の状態がわかるのかって?

波動性と粒子性

量子力学における仮説として、
すべての物体は「波動性」と「粒子性」を併せ持つ、というのがあります。


波動性というのは、波としての性質です。
波とは何かというと、水による波や音のように、
だんだんと伝わっていくというイメージですね。
そして、粒子性というのは、
原子とかそんなイメージではないかと思います。


ところが、量子力学では、
原子は波でできているし、波は粒子のような特徴を持つというのです。
このあたりから、ぼくの理解を超えていくわけですが、
ムリヤリ納得するなら、波の状態がわかれば粒子の状態もわかるのです。
つまり、波動関数なるものがわかれば、物体の状態がわかると。
いや、そんな単純なものじゃないですが。

重ね合わせ

さて、波動関数がわかれば物体の状態がわかると書きましたが、
実は、シュレディンガー方程式を満足する波動方程式は無数にあるのです。


例えばですが、縄跳びの縄をイメージしてみてください。
その縄で、波動っぽい形「〜」を作ってみてください。
すると山が1個あったり2個あったり、いろんな形ができると思います。
極端に言えば、山が1000個あるような形もできるはずです。
つまり、縄で作れる波動の形は無数にあるのです。


シュレディンガー方程式を解いて、
「縄で作れる波動の形が解である」とわかっても、
縄で作れる波動の形は無数にあるんですね。
これが、「重ね合わせ」の状態です。
どの状態もあり得るのです。

観測による収束

とはいっても、実際に誰かが作った縄の形を見たら、
複数の状態が入り交じっている、なんてことはなくて、
1つの形に決まっているはずですよね。
観測した瞬間には、縄の状態は1つしかないんです。


だからといって、そのことを確認するまでは、
どんな縄の形なのかはわかりません。
わかっていたのは、縄で作れる形だということだけです。
観測するまでは縄の状態はわかりませんが、
観測した瞬間に縄の形は1つに決まる、収束するというわけですね。


収束した波動関数というのは、とある物体の状態を表しているわけなので、
これで物体の状態が1つに確定するということですね。

というわけで

急ぎ足で溝にハマりそうになりつつ(もしくはハマりつつ)も、
量子力学についてそれっぽく(あくまでもそれっぽく)書いてきました。
まったくもって筆舌に尽くせてない感はありますが、
やはり「量子」の名を冠するには、
「重ね合わせ」と「観測による収束」の両方が必要そうな気はしますね。


……あ、タイトルに付けておきながらスルーするところでしたが、
観測によって収束する時には、「確率的に」収束します。
シュレディンガーの猫のふたを開ける直前には
猫が生きているか死んでいるかは決まっているはずなのですが、
開けるまでわからないのであれば、確率的に収束しているのと同じだと、
そういうことなんですよね、きっと。


そう考えると、将棋みたいな、
すべての情報が誰の目からも確認されている場合は、
もちろん量子力学的な話題はないわけです。


しかしながら、通常の人狼において、
ゲーム中は他の人の役職は確率的にしか推定できず、
ゲームの終了時にすべての役職が公開されるという点では、
「重ね合わせ」と「観測による収束」を併せ持つとも
言えなくもないのかな、なんてことを思ってみたり。


もっと言えば、麻雀という遊びは確率に支配された遊びですが、
ツモする時も、相手の手牌を予想する時も、ゲームのあらゆる状態において
量子力学的と言えるような気もしてきました。
「量子」って、一体何なんだよ!


この、あやふやな状態のままよくわからないのが「量子」の正体なのか、
はたまた単に、ぼくの理解が足りていないだけなのか。
少なくとも、前回の記事に書いた量子将棋は「量子」ではない、
ということだけは断言しておいて、今日のところはこれで終わりっと。