「私はこうやって旅行が嫌いになりました」
「とにかく世界を広げたい」と思う人がいます。
新しいものに触れることは、いつでも嬉しいことだと。
ぼくも、新しいものに触れるのは好きです。
でもぼくの場合、「自力で見つけ出して」触りたいんですよね。
ここでよく、意見は食い違うんです。
例えば「旅行」で。
ぼく自身は、あてもなく散策して面白そうな場所を探して、
面白ければ嬉しかったと、そうでなければ別を探そうと、
そうやって旅行を「楽しむ」のですね。
旅行前に徹底的に情報を仕入れる人もいるでしょう。
駅に着いたら、まずはそこの博物館へ。
次は昼食時だから人気のラーメン屋に寄って、
遊園地は夜が空いているからそれまで自由行動、とかね。
そうやって旅行を「楽しむ」ようです。
このニュアンス、伝わりますかね?
どうまとめればいいのかわかりませんが、
前者は「偶然性」を大事にしているのかな?
後者は「計画性」というか、
旅行というミッションを成功させようとしているように見えます。
実はですね、ぼくは旅行がそんなに好きではなかったのです。
こういう例えをしてみて思ったのですが、
「私はこうやって旅行が嫌いになりました」
というようなことも言えそうな気がしてきました。
思い返せば、遠足だとか研修旅行だとか、
あれはほとんど計画された旅行なんですよね。
「楽しい修学旅行にしよう」とか言って、前もって地域のことを調べますが、
大抵は旅行パンフレットなんかを見て、名所を調べるわけです。
実際に東京に着いたとして、そこで反応は別れます。
「わーすげー、本物の東京タワーだー!」
「東京タワーか。調べた通りだな」
ぼくは、おそらく後者でしょう。
その後、自由散策の時間があったりしますけど、
これまたどうしようもないんですよ。
初めて来た東京に土地勘なんてないのはもちろん、
特に修学旅行って、場合によって初めての旅行体験なんです。
ぼくはまさにそうでしたから。
だから、旅行で何をすれば良いのかわからない。
そんなわけで、
「旅行は大して面白いものではない」という感想を抱くことになります。
さらに、「旅行」に対して「大掛かり」なイメージが付きます。
「旅行=面倒で面白くない=嫌い」
何がいけなかったのかと言えば、
いちばんの原因は「ぼくに旅行経験がなかったこと」でしょう。
旅行の楽しさを知らないのに、無理に連れてきてしまった。
じゃあ近場ででも旅行をしておけよ、と人は言います。
時間的余裕も経済的余裕もなかったんだから仕方がないじゃないですか。
今からでも旅行経験を増やせよ、と人は言います。
そんな面白くもないことを、時間と金を使ってさせるんですか。
今となっては、「旅行」はそこそこ好きなものになっています。
ただ冒頭に書いたように、「計画性のない」旅行が好きです。
旅行って、自由にやってもいいんだと気付いた時に、
ぼくは「旅行」を好きになりました。
……もうさあ、「旅行」と「モンハン」を置き換えても
何ら不自然はなさそうでしょ?
ま、「旅行」の例えが理解されなきゃ意味はないんですが。
この場合、本人が嫌いだと言っているうちは、
まわりが何を強要しようと意見は変わりません。
好きになるには、しょっちゅう全滅する割には
いつも楽しそうにやっているコミュニティを目の当たりにするとか、
「新しいモンハンの世界」を「自力で見つけ出す」しかないのかなーと、
個人的には思いますね。
まあしかし、単純に相性の問題という可能性もありそうですよ?
ぼくは「モンハン4」は未プレイで、
体験版の「モンハン3」ですかね、それを試した記憶がありますが、
うん、ぼくには馴染みませんでした。
なんか表示される情報量が多い気がしまして、
みなさんの並列情報処理能力の高さには驚かされます。
とはいえ、話題のゲームに取り残されるのも少し癪ではあって、
何かの拍子で好きになって、話の輪に入れたらなとは常々思いますけどね。
おまけ:
ぼくは数学が好きな人なのですが、
数学が嫌いだ、何をすれば良いかわからないという人に、
問題集を一からやっていけばいいよ、と言うのは、
果たして助言なのでございましょうか?