責任能力試験を作ろう!

こどもは、「責任」がないものとして扱われています。
だから、こどもには自由がないと言われます。
確かにそうです。
入会手続きには保護者の同意が必要だったり、
未成年だとして販売を拒否されたりと。


一方で、責任のなさから来る自由もあります。
社会のしがらみを受けずに行動できるし、
万が一法に触れても多少なりとも保護されます。


こどもの自覚がある内はいいのです。
こどもが「こども」から脱却しようとしている時、
「責任」を持たせてもらえないことは、大きな足枷になります。
自分で考えて、目標を定めて、リスクヘッジも施策して、
それでも「こどもだから」できないのです。


「こども」って、なんなんだ?
「責任」って、なんなんだ?


ここで「こどもとは」とか「責任とは」とかといった議論をしても
さほど意味はないと思うのです。
「こどもが責任を持たせてもらえるか」
この一点に、絞り込んでみましょうよ。


こどもが「責任」を持つためには、
そのこどもに「責任能力」があるかを調べるべきでしょう。
じゃあ、作っちゃいましょう。
責任能力試験」を。


試験内容は単純です。
要するに、「法学」です。
あとは「倫理」も少し、ですかね。
それでいいじゃありませんか。
もちろん、合格のハードルは「思っているよりは高め」ですよ?


この責任能力試験を「自発的に」受けて、
合格証が出れば、その日から大人です。
保護者の同意書には合格証明書番号を記載すればOKです*1
他方、警察沙汰になれば番号が照会されるので、
しかるべき刑罰を受けることになります。


では逆に、責任能力試験を受けない場合はどうなるのでしょう?
生涯責任を負わない?
そんなことはありません。


責任能力試験を受けなくとも、成年に達した時点で
「原則的に」責任能力が認められることになります。
しかし、ここで認められるのは「半責任能力です。


「半責任能力」にはいくつかの制限があります。
まず、クレジットカード等は作れないでしょうね。
各種契約も、モノによっては難しいかもしれません。
運転免許は絶対に無理でしょうね。
就活でも苦戦すること間違いナシです。
選挙は……これは義務だからなぁ。


つまりは、半強制的に責任能力試験を受ける必要があるわけです。
受けなければ、いわば「中途半端な大人」になってしまうという。
ただ、おそらく成年に達した人にとって、
その試験内容はおよそ常識のようなものです。
ちょっとした社会のメカニズムくらい知っていないと、
生活も破綻するでしょうよ。
「中途半端」を「真っ当」に変える、意義深い試験です。


どうでしょうか?
ちょっとワクワクしたりしませんか?
これが実現すれば、良い意味でも悪い意味でも
「こどもだから」は通用しませんよ。


いや、問題点があるのはわかっているつもりです。
そもそもの出発点から、
責任能力試験を受ける責任」は誰が持っているのか、とかね?
「自発的に受けるよう保護者から強制される」とか、
「何度やっても受からないこどもへのケア」とか、
「何度やっても受からない大人へのケア」とか、
もう、枚挙に暇がありません。


面白そうではあるのですが、
ぼく自身、このことについて「責任」を持てそうにありません。
持てるのに持たない人と、持ちたいのに持てない人と*2
うーん、ジレンマ。

*1:この番号をそのまま背番号制度に流用してしまえば良いのじゃないかな?

*2:この言葉だけを切り出して目的語を「鉄砲」とかにすると、大幅に意味が変わっちゃいますね。