秋の夜空に見る点々

全く、「秋」はいつ来るんだろう。
ちょっと顔を見せた気はしましたが、
それ以来殆ど出会ってません。
目覚めて出会うのは、「冬」ですよ。
涼しい、を味わいたい。


ま、今日は良いお天気で何よりでした。
冬っぽい感じもしましたが、秋っぽい感じもしました。
風が冷たすぎるわけでもなく、
肌寒くは思うものの、過ごし易かったんじゃないかな?


夜に出歩くと、空には星が瞬いていました。
あまり天体には感銘を受けない方なのですが、
今日は何故か、惹き込まれましたね。
何座だとか、何とか大三角形だとか、
昔々に習ったはずなのに、全く覚えていないなあ。
でも、それでも、
何の知識がなくても、星を仰ぐのは楽しかったりします。
問題点は、首が痛くなること、ですね。


しかし、こんなにはっきりと星空を見られたのは、
いつ以来だろうか。
最近、余裕がなかったってのもありますかね。
余裕がないようには見えないかもしれませんけど。
心には、裕りを持とう。


……裕りを持つってのは、
"There is nothing."に似ている気がします。
「そこには『何もない』がある」
思い詰めてはち切れそうになった時に、
それが流れ出すスペースを作れ、
『何もない』を持て、ってことですね。
無駄に逃げ道を確保しておくより、
その場で発明をしてしまう。
その環境を作ることが、裕りを持つということ。
……何かずれてるかも?


ゆとりで思い出しましたが、
「台形の面積の公式」が小学校で復活したそうですね。
(上底+下底)×高さの半分、というやつです。
とても好いことです。ぼくには全く関係ないけど嬉しいです。
これはね、台形の面積を求めることに意味があるんじゃなくて、
その公式を導く過程が、発想の一例として意義深いと思うのです。
「台形の面積の公式」さえあれば、
長方形でも三角形でも計算出来ちゃいますし、
かのガウスの逸話で有名な等差数列の和にも結びつくのです。
こうやって、単に覚えるだけでなく、
世界を広げられることを教える方が、
「裕り」につながるんじゃないかな〜、と思うのですけどね。


政治家さん、たまには星でも見ましょうや。
何を思うでも、何を語らうでもなく、
ただひたすらに、観ましょうや。
ちょっぴり楽しくなるかもよ?
……ぼくは、何を言いたいんだってば。