善意と悪意

昨日の記事の続きとも言える内容なのですが、
法律と道徳は、似ているようで解釈がかなり異なるようです。
法律は離散的、道徳は連続的、という対応付けを
今ふと思いついたのですが、それで良いのかな?


人間というのは曖昧な生き物で、
幾ら論理的な人でも、時には決断を渋ることがありますよね。たぶん。
人にはそれぞれの基準があって、
同じ事柄に対しても、その人毎に答えは違うのです。


だから、ある事が善いか悪いかを決めようとしても
人によって答えが異なるし、或いは答えが出ない時だってあります。
道徳というのは、基準が微妙なのです。
無数の基準があるわけです。


対する法律というのは、ばっちり定められたものであります。
人によって答えが異なるなんてことは、原則としていけません。
白黒はっきりとつけないといけないのです。
そのために、皆が同じ基準を使います。


そこで、善い・悪いという言葉を法律で使うには、
人によってぶれない定義が必要なんですよね。
法律用語では、次のように決まっているそうです。
善意:ある事柄について知らないこと。
悪意:ある事柄について知っていること。
……つまり、法律上の「善意・悪意」という言葉は
本来の善と悪の意味を含んでないのですね。


では、昨日の記事の例を考えてみましょう。
同じ「頭上注意」の看板を立てるにしても、
頭をぶつけないように考えた前者は
どぶのことを知らなかったのだから「善意」、
一方どぶに嵌めようとした後者は
勿論どぶを知っていたので「悪意」となります。
これは、一般的な善悪の考えと一致しますね。


このような時、道徳と法律には差が無いように見えます。
しかし、捻くれ者のぼくにとっては、
昨日述べたように、前者も悪いと考えるのです。
そう考えると、道徳と法律では違ってくるのです。


自分にとって善い行いが、他人にとっても善いかというのは、
なかなか判断し難いものです。
善い行いをしなさい、と言われたときに、
善い行いをしたつもりなのに悪く思われると、
何が正しいのか分からなくなってしまいます。
そんな時に頼れるのは不変の基準を持つ法律なのですが、
道徳と法律は必ずしも等しくないんです。
全く、困ったなあ。


なんだか記事が巧く纏まりませんが、この辺りで止めときます。
自分が何を言いたいのか分からなくなってしまいました。
道徳ってのは、本当に難しいものです。
今になって思ったのですが、
もしかすると「道徳」の意味を取り違えているかもしれない。
また勉強し直して参ります。