「頭上注意」に注意せよ

ある日、とことこ歩いていると、
「頭上注意」の看板が目に入りました。
空を仰ぐと、木の枝が一本飛び出していました。
親切だなあ、と思ったのも束の間、
次の一歩はどぶの中でした。


これは、ある四コマ漫画のワンシーンと
現実世界での一コマを基にした虚構なのですが、
もしこのような出来事が起こった時、
この看板を立てた人には、二通りの考え方がありますよね。
ひどいことをしたな、と思うのか、
しめしめ、引っ掛かったぞ、と思うのか。


一般的に悪そうなのは、後者です。
悪戯目的でこの看板を仕掛けた訳です。
説明するまでも無いとは思いますが、
通行人に看板を見せて注意を頭上に引き付け、
足元にあるどぶを踏ませるという魂胆です。
物陰で腹を抱えて笑っていることでしょう。


これは、度が過ぎれば詐欺へと発展していく訳です。
親切なふりをして損をする契約に誘導するとか、
些細なことに注意を向けて規約の穴を見落とさせるとか、
詐欺というのは、信用させる段階を経て
底の深い谷に蹴落とすものなのです。


さて、ですが、
では前者は全く悪くないのでしょうか。
つまり、木の枝で目を突かないようにと
本当に親切心で看板を立てた人は、お咎めなしでしょうか。
ぼくはね、これも「悪いこと」だと思うのですよ。


法的には何の罰も無いと思います。
看板を立てたのは人をどぶに嵌めるためではなく
人に怪我をさせないためです。
一般的には、「ドンマイ」で片付くことでしょう。
でも、結果的に怪我させちゃったわけですよね。


「悪に強ければ善にも強し」という諺があります。
これは、悪事を働く人は強い心を持っているから、
改心すれば、人一倍善い人になれる、という意味ですが、
ぼくはもう一つ自分なりの解釈を持っていまして、
悪いことをしているという自覚があれば、
悪いことをしない選択が出来る、とも捉えています。


どぶに嵌めて喜んでいる悪戯っ子は、
恐らくそれが悪いことだと知っています。
ですから、それをやめる選択肢があるのです。


ところが、善きと思って看板を立てた人はどうでしょう。
その行為が悪いなんて思っていないから、
これからも同じことを繰り返すでしょう。
事が起こるたびに、ひどいことをしたな、と思うでしょう。


こんなことを言っては、迂闊に注意書きの看板が立てられなくて
余計に怪我人が増えるじゃないか、と言われるかもしれません。
でも、注意書きをして怪我をしたんじゃ意味がありません。
起こり得る事態をある程度想定する必要があると思います。
惨事になってからでは、遅いのですよ。


「善は急げ」と言いますが、
果たしてそれが善なのかを、一度考えなくてはなりません。
もし少しでも考慮してくれていたなら、
ぼくは段に躓いてこけることなどなかったのです。
ま、幸い無傷だったのですがね。


ただ、ここで気になるのは、
善かれと思って書いたこの記事で
誰かが躓くと困るなあ、ということです。
何事も気にし過ぎるなということですかね。
そうも言っていられないこともあるとは思いますが。