書かなくなっていったこと

パラパラと、このブログの昔の記事を読み返すと、
無知で無謀な記事がホントに多いなあと思ってしまうのです。
無垢だといえば聞こえはいいんですけどね。
知らない時ほど、大声で言えることはたくさんあります。


ただ、それを自覚してしまってから、
目に見えて記事を書く量は減ってしまいました。
単にモチベーションが下がった、多忙だというのもなくはないですが、
記事を書きかけてやめることも増えたので、
執筆にかける時間がなくなったというわけでもないんです。
実際、そんな心境でそのまま公開した記事もありました。


書きかけてやめてしまうのは、検証の途中で投げ出すからですね。
学術的な話題であれば、まず持論をいくつか書きかけて、
それを補強するためのいくつかの論文に行き当たり、
持論を否定する論説にも出くわして、どう書き直そうかというあたりで、
そこまでパワーをかけることでもないよなと冷めてしまうんです。


ゲームの話題でも、興奮して熱のあるうちに書き始めますが、
細かい部分を端折って書き上げてしまえばいいものを、
細かい数字やパラメータを検証し始めたが最期、
上位勢の動向を観察して自分のプレイが未熟だと思い始めると
記事にするほどの価値もないかと思ってしまったり。


そもそもこういう言い訳をしてる時点で、そういう性格なんですけどね。
諦めが早いのは、ときに長所になったりもします。


それはさておき、しかしながら、一方で、オンジアザーハンド、
初学者の文章とか、未熟なプレイレビューとかって、
案外参考になるものでもあります。
ぼくも時々、あえて難しい内容を避けた記事を読むことがあります。


むしろわからないなりに書くほうが気楽です。
体験版のレビューとか、このブログには多い気がしますが、
検証できなくて当然な環境なので書けてしまえるんですよね。
普通のプレイレビューも「第一印象」とかって誤魔化してますし。


そんな文章はやはり、この部分が甘いなと指摘できそうな部分が見つかります。
その時に、「そこが甘い!」と指摘するのも1つなんでしょうけど、
その甘い部分を見て、自戒につなげたり、他の人に説明する際に注意したりと、
吸収できることもたくさんあるのです。


これ、自分だけで吸収するのと、
著者に指摘して吸収してもらうのと、
ぼくは前者を選びがちですが、後者の方が良さそうですか。


自分自身は指摘することが得意だと思っていて、
対面ではそこそこズバリと指摘してしまうタイプだと感じています。
指摘して不機嫌になりそうな人は避けますけどね。
ネット上では顔が見えないので、避けることが多いです。


一方で、ぼくは指摘されるとその内容にかかわらず、
一瞬「むっ」と思ってしまうタイプでもあります。
そしてまず反論を組み立てて、そのあとに反論するべきことかを判断して、
実際に反論するか、素直に意見を受け止めるか、
そういう思考をしている気がします。
いわゆる一言目に「いや、」で返すタイプですね。


なぜそうなったのか、と言われてもそれは性格の問題で、
気をつけた時期はありましたが、反射的にそういう態度になるので、
今はとりあえず諦めてます。


ただ、指摘が嫌いなわけではないのが複雑なところで。
このブログはコメント歓迎のスタンスでやり続けてますし、
納得のいく指摘であれば、訂正したり次に反映させたりしているつもりです。


とりわけ苦手なのは、意味が不明瞭な指摘、自分にとっては非合理的な指摘、
それと注意書きを無視した指摘ですね*1
大雑把にまとめると、論理が破綻しているもの、そもそもの国語がおかしいもの。
自分の使っている論理・国語に絶対の自信があるわけでもないですけど、
ぼくの頭では解釈のしようがない指摘は、どうしようもないです。


これも既に諦めていることではあります。
幸せなことに、ぼくの親族は論理や国語に関しては平均以上だと感じているので、
意味が通じない会話に無縁なまま育ってきました(倫理や道徳は別です)。
人と関わるようになって、人の幅の広さに気づくと、
会話が通じないことはむしろ普通なのではという恐ろしさに直面します。


「土足禁止」の文字も読めない。
「撮影禁止」のアナウンスも聞こえない。
「質問は1人1問まで」のルールも守れない。
「法定速度」とは何なのか。


ちょっと話がずれてきましたが。
なるべく指摘されないために先回りして注意書きを書いておいても、
そこを読み飛ばされて指摘されると骨が折れます。
完全に無駄な注意書きだったわけです。
しかしその注意書きがないと、「既知の指摘」が来るので、
それは筆者の心情として、悔しいんですよね。


……みたいなことを考え始めて、
結局書くのをやめた記事は多いのです。
なんか他人のせいみたいな言い草だけど、書いてないのはぼくの責任。
別に気にせず書けばいいのにね。
好きでブログやってるくせに、小心者だったのです。


公開するかどうかは、おそらくその時の熱量にかかっているので、
適当な記事でも勢いがあれば公開していたと思われます。
細かい解説で最後まで書き上げた記事には相当な熱量があったんでしょうね。
そういう記事は読み返していても、「熱い」と思う時があります。
そして、開設当初の記事は今とは違う方向の熱が強かった。


結局、ぼくはブログというものとは相性が良くなかったのかもしれません。
だけど文章の組み立て方とか、人への伝わり方とか、
学べたことは非常に多かったです。
小手先のテクニックで飾るよりも、主題を簡潔に述べる方が伝わるというのは、
まさに体感した事実と言えます。
なお、この記事は簡潔とは程遠い模様……


ちょっと早めな反省会という内容の記事でした。
今も変わりなく無知で無謀な気はしますが、
そのことに気づくにはまだ数年が必要でしょう。
しかし無知で無謀だから挑戦できることもある。
数年後にまた読み返すのも、なかなかに怖いですが、
怖いもの見たさってなぜかありますよねー。

*1:でも筆者も、スライドに書いてあることを聞き逃して質問することもあるので、自分が完璧と思ってるわけでもありません。