手の平を返せること

「手の平を返す」という慣用句があります。
さっきまでの態度と、全く逆の態度をとる様子ですよね。
場合によっては「ダブルスタンダード」となることもあります。
判断基準がぶれていると言うことです。


一方で、「君子豹変す」という諺があります。
悪い意味で使われることも多いですが、
元々は自分の悪習を即座に改めるという意味だとされています。
優れた人ほど、過ちを直ちに認めることができると。


また、手の平を返すの逆としては
「芯が通っている」というような表現をするでしょうか。
そしてそれは、「頑固一徹」という表現にもできます。
これらもやはり、前者は良い意味に、後者は悪い意味に
取られることが多い言葉です。



何か一つの主張をしていて、
その主張が間違っていることが明らかになったとします。
そこで主張を変えると、手の平返しだと言われ、
主張を変えないと、頑固だと言われる。
そういうケースを、よく見る気がします。


この場合は多分に、主張を変えるべきでしょうから、
主張を変えた人に対して、「考えを改められる人」という評価が
されてしかるべきだと思うんです。
元々の主張が過激だったり無責任だったりするほど、
そうした評価を下しにくいんですけどね。


ある時、自分の考え方が変わったとして、
それを逐一説明する義務はあるんでしょうか。
責任者や政治家が公に主張したことに関しては必要でしょうけど、
プライベートでの発言や、そこから推論された考え方にまで
説明の義務を課されるのは、何か違うと思います。
(非難してはいけない、という意味ではありません)



以下のことは自戒でもありますが。
人間は、変化の生き物なんですよね。
考え方が変わっていくほうが自然なんです。
ぼく自身、10年前のぼくと出会ったとしたら
びっくりするほど性格も考えも変わってるでしょう。
変わってない部分を見つけたら、それが「芯」と言えるのでしょう。


何か不祥事を起こしたり、問題の渦中にあったりする人の
過去の発言や主張を拾い上げてきた時、
今のその人の考えと近い可能性は高いですが、
同じであるという保証は全くありません。


もうちょっと砕けた話題にすれば、
ホラー系のアニメが苦手だと言っていた知り合いに
ホラー系のアニメをお勧めされてびっくりするとか。
こういうレベルなら、笑い話になるんですよね。
でも、企業や政治なんかの話では、やはりこうはいきません。



ぼく自身は、「考えを改められる人」
つまり君子豹変タイプになることを「今のところは」目指している人です。
悪く言えば、「手の平を返す人」になりたいです。
どうやら周りからの評価は、「芯が強い」または「頑固」のようで、
思い通りにはいかないなという感じ。


「変わること」が、ここ数年のぼくの主張みたいなものですが、
「頑なに」変わろうと言っていて、ある種の矛盾が生じつつもあったり。
無意識のうちに型を探してしまう性格みたいですからね。


昨日言ったことと真逆のことを言われると、イラっとするものかもしれません。
そこに納得できる理由がなければ、なおさらです。
ただ、間違ったことを言われ続けるのも、やはりイラっとします。
「これから手の平を返すよー」と宣言した上で主張を変えたりすると
波風が立ちにくくなってくれるんでしょうか。
気楽に手の平を返せることを、「今のところ」ぼくは望んでいます。