過去から知れるものは予測に過ぎない

一週間ほど経ったと思いますが、
まだくすぶってますね。
当初の問題はまあまあ落ち着いているんですけど、
あら探しみたいなのが増えて来たようです。


それで、3年ほど前の昔話を持ち出して、
それを材料に叩きに行っているみたいですが。
もう何度思ったことかわかりませんが、
ネットは、怖いよなあ。


たとえ同じ人であっても、
今と過去とでは、思っている以上に乖離があるものですよ。
これはぼく自身の話に過ぎませんけど、
ブログや手帳を読み返してみて、
「あの時の自分は何を考えてるんだ?」と思うような
辛辣だったり軽薄だったり愚劣だったりすることが書かれています。
ほんの一週間前のことでも、そう思うことだってあります。


今、現時点で起きている事件に関して追及するのは、
それは全く問題ありません。
むしろ徹底的に議論すべきだとさえ思います。
それとこれとは、話が別。
昔の話は、昔話です。
今の対応こそがその人を表しているんです。
国家間の話にも通じそうですけどね。


過去から知れるものは、現在の予測に過ぎません。
長らく日本に居ずにバリアフリーの遅れを指摘するのと同じです。
現在を知りたければ、今を見つめないと。
その人の行動をいつ変えるか? ……というわけで。


ま、これは自戒のようなものです。
つい経歴に目がいってしまうことへの戒めです。
本質が知りたいなら、それ自体を見れば良いのです。
どうしても直接確かめることが叶わない時には、
過去や環境から予測をしてみてもいいのかもしれません。
でも、鵜呑みにしてしまっては、ね。