物理的弱者と、論理的弱者。
Twitterの人と飲食店の人とがもめている問題、
いや、正確には、その観客達がもめている問題ですか。
ぼくもその観客の一人ですが。
どちらの意見も一通り汲んだつもり、という前提で、
また、どちらも真実を描写していない事実を受け容れた上で、
この件の本質は、ただ次の文に過ぎないのではないかと思いました。
「物理的弱者と、論理的弱者との諍い」
それ以外は、ただの飾り、賑やかしじゃないでしょうか。
この問題の本質は、双方が双方の弱点を、
つまり健常でない身体と尊敬のない言葉を、
本来あるべきものが足りないと言い合っているだけじゃないでしょうか。
「本来」の基準がすれ違ってしまっただけの話ではないのでしょうか。
そしてそれを、お互いが自分の信じる方法で追及し、
たくさんの尾ひれを付けて正当化しているのでしょうか。
この話を本当に解決したいのなら、
「本来の所在」について議論するべきだと思うのですが、
ただ、必ずしも解決しなくても良いような気もします。
だって、「本来」の基準が違うんですから。
ひとつ、ちょっと怖いなと思っているのは、
当事者とは異なる「本来」を持つ無数の観客(ぼくも含めて)の中にも、
「本来」とはこういうものだ、と押し付けている人がいることです。
わざと話を飛ばしますけど、これが教育格差なのかな。
でもって、経済格差でもあるのかな。
おっと、ぜんぜん本質的じゃない話題でしたね。
物理的弱者と、論理的弱者*1。
どちらが強いか、どちらが正しいか、じゃなくて、
どちらも正しいし、どちらも間違っている。
それぞれに、それぞれの基準がある。
だから、他人の行動に自分の基準を当てはめるのは、やっぱり良くないかな。
それを理解しろとは言えませんけどね*2。