採点競技

ウィキペディアによると、競技スポーツは、

  • 対人競技
  • 競争
  • 採点競技

に分類できるそうです。
それぞれをぼくなりに解釈すると、

  • 直接戦うもの
  • どちらが早いか競うもの
  • どちらが巧いか競うもの

という感じですかね。


さて、その中で「どちらが巧いか競うもの」つまり「採点競技」というのは、
その勝敗が分かりにくい場面が多いのです。


例えば「直接戦うもの」「対人競技」なら
攻撃が当たったりシュートが決まったりすることで得た得点の量で、
或いは一人が倒れて一人が立っていたなら、結果は明らかです。
「どちらが早いか競うもの」「競争」なら
先にゴールテープを切った方が勝ちですし、
若しくはセシウムの放射によって定められる「時間」という物理量を使えば、
開始時刻が違っても正確な所要時間を計測して、判定を下せます。


その点「どちらが巧いか競うもの」「採点競技」、
とりわけ表現力を競うスポーツでは、確固たる基準が存在しません。
物理的に定義されない「美しさ」などという概念によって順位がつくのです。


これを客観的に判断しようとするならば、
例えば「腰の位置は70cmを保つのが美しい」とか
「反りは105°を満点とし、差分によって減点する」とか
そういった基準を設けなきゃいけないわけですよね。
でも、そんな取り決めをしてしまえば競技が作業になってしまい、
ロボットがロボットの出来を検査するような状況に陥るわけです。
そもそも美しさなんてのは、時、場所、はたまた人によりけり、
十人十色で百人百様、千差万別の美しさがあるのだから、
ここで決めた美しさは美しくないこともあるんです。


ならば主観的に判断するしかない。
そうすると、その審査員はこの優勝候補を高評価したけど、
あの審査員はこっちの新人を大絶賛して、
審査員によって勝敗が決まるなんてことが勿論あり得ます。
じゃあ世間一般、人並みの美的センスを持つ人たちを揃えて
意見のブレを最小限に抑えようとするのでしょうね。
これで、誰が審査員をやっても結果は覆らないから一件落着だけど、
個性的な人はいくら挑戦しても評価して貰えないかもしれません。
つまるところ、多いもの勝ちですよね。


どっちをとっても、誰かしらに文句を言われるのです。
それでも今に根付いているということが、ぼくにとっては不思議です。
あ、そうか。
同じような美しさの概念を持つ人が同じスポーツをやっているのなら、
意見が食い違うこともないかもしれない。
なるほどなあ。
それが、広い地域で行われるようになることで
異なる価値観との衝突が起きるようになったのかな?
それなら合点がいくかも。


それはそれとして。
この時期にこんな記事を書いていれば、行き着く先は想像に難くないでしょう。
フィギュアスケートの話です。


にわかファンの聞きかじりによると、
どちらも遜色ない滑りを見せたにもかかわらず、点差が開いているとか。
北米の、しかもオリンピックだから、まさか贔屓するなんてことは考えられないんで
何かしら差はあったんだろうと思いますが。
よく分かりませんよねえ。


わざと二回転四半で止まる「ハチイチゼロスピン」とかあっても良いのにな〜と、
思ったりするのはぼくだけでしょうか。
なんか、決まりきったことばかりしているような気がして。
得点になるのも、殆どはジャンプなんでしょ?
いや、相当難しいのだろうとは思いますけどさ、
みんなぴょんぴょん跳ぶもんだから、飽きてしまったというかなんというか。


でも、素晴らしい演技というのは、本当に感動するものです。
たとえ途中で転んでしまったとしても、
結果として心揺さぶる演技、ありますよね?
ぼくが、特に見る当てもなくテレビを点けているのは
こういう稀に起こる感動の為だと言っても過言じゃありません。
しかし、スポーツの世界では技術が第一。
申し合わせ通りに演技をしなくては勝てない世界なんですよね。
あ、ちょっと話が脱線したかな?


フィギュアスケートをする人、特にオリンピックに出る人というのは
そういった、決まりきった演技を失敗せずにやり遂げる、
そのことに大きな魅力を感じているんでしょうね。
……いや、もしかするとその枠組みを破壊したい人もいるのかな?
ルールも色々変わっていたりするのかな?
ごめんなさい。ぼくはにわかファンでした。


ま、結論は価値観の相違だと。
最近いつも、この結論で締め括っているような……