やらねばねばねば

「やりたい」と思ってやっているうちは続くが、
「やらねば」になってしまうと続かない。


何事にも通ずる、大事なことです。
一般的には、「日記」というやつです。
「この日こんなことがあった」のなら、喜んでその内容を書けるのですが、
「この日は特に何もなかった」のなら、空白にするか、それが嫌なら
今日あった些細な些細なことから無理やり書か「ねば」なりません。
「空けておく」という選択は場合によっては賢いのですが、
明くる日も、また明くる日もと空白が続いてしまうと、
その内、書かなくなってしまうことでしょう。


一日目には、今日始めたということを書く。
二日目には、今日あった些細な幸せを書く。
三日目には、デパートへ行ったことを書く。
四日目になって空白が現れる。
明くる日も、また明くる日も。
以上、典型的な三日坊主の日記パターンです。


ぼくも過去幾度か三日坊主を経験しましたが、
幸いにも「伝書閑古鳥」は三日超過続いております。
存続の決め手は、「日記」ではなく「発信所」であるという設定にあります。
三日坊主という概念を造らなかったのです。
自分で言うのもなんですが、賢いやつだ、お前は。
一種の暗示でしょうね。逃げ場をなくしたのです。


窮鼠猫を噛む。
追いつめられれば、大きな力を発揮します。


しかし、注意すべきことが一つ。
「やらねば」にしてはいけません。
「やってやる」にするのです。
ここのコントロールさえ上手くすれば、何事も達成できます。
どんな辛いことも、はたまた自分には大きすぎると思われることも。


と、ぼくは結論付けているにも関わらず、
「やってやる」体勢に「ならねば」という、悪循環に陥っています。
ここのコントロールが難しいんだ、ホントに。