飛躍はいつしか常識へ

「飛躍した考え」
研究者はある意味で、これを探しているんですよね。
閃くか、多大な熟考を重ねることで、
この「飛躍した考え」を得るのです。


それは「飛躍」しているものだから、
大抵の人には受け入れられない。
言わば「非常識」な考えなのです。


でも、然るべき時が来れば、
その「飛躍した考え」は徐に浸透します。
これがなければ成り立たない、なんてことにもなります。
その時、それは「飛躍した考え」ではなくなるのです。
知らなきゃ恥ずかしい「常識」と化すのです。


思えば、今在る「常識」は、
星の数もの「飛躍した考え」が熟れて出来たものですよね。
つまり、昔に比べて人々の思考範囲は
とんでもなく広がっているってことになります。


そんな中でも必死に、
「飛躍した考え」なるものを探し出すのが研究者の仕事。
いや、研究者のみならず、
今を生きる人々の、隠れた大仕事なんです。


さあ、扇風機を片手に鰻を料理をしよう。
さあ、三つの柱の真ん中に鉋を山積みしよう。
さあ、日が沈む前にあらゆる時計を伏せよう。
いつしか常識に……なるかもよ?