変化を厭うな

大阪市長選が、終わりましたね。
大阪の、しかも市の話なのに、
いろんなところで取り上げられているのが、
なんとなく面白いです。
大阪市は、大都市なんだなあ、と*1


さて、勝ったのは橋下さんでした*2
個人的には、ぼくは「橋下徹」という人間のファンですんで*3
万歳三唱をひっそりと行ってました。
もちろん、考え方にも大いに賛同できますし、
起こるべき対岸の火事を楽しみにしているところです。


で、ですね。
マスメディアというものは穿って見るべきではありますが、
どうも「変革」というキーワードを取り立てて
不安感をまき散らすのが好きなようです。
「これまでの良い生活が失われるかもよ」というような。


今の生活が良いものであるならば、それもそうかもしれませんが、
いやしかし、考え直す必要もあります。
あなたの生活は「ぬるま湯」ではないですか?
メリハリのある生活を送れていますか?
……尤も、筆者の言えたセリフじゃあないんですけどね。


変化を厭う人というのは、
いつまでもいつまでも「ぬるま湯」に浸かっている人です。

今の、そこそこ快適な状態を保ちたいのです。
しかし、いつまでも動かないと風邪を引いてしまうでしょう。
そうなると、ますます「ぬるま湯」から上がりたくなくなるのです。


「変革」というのは、
「ぬるま湯」からピックアップすることなんですよね。

そう考えるならば、元の生活「ぬるま湯」が失われるのは
至極当然なことなのです。
次の生活が「熱湯」だとしたら、苦痛かもしれません。
かといって、元の「ぬるま湯」は既に「水」です。
これが、「昔は良かった」の正体じゃないでしょうか。


それなら「ぬるま湯」のほうがいい、
それが保守派の意見でしょう。
なにも苦痛を味わうことはない、
冷たくなったら湯を注ぎ足せばいいんだと。
知らぬ間にはびこる細菌に気が付かず、
己の身が痩せ衰えていることに気が付かず。

本当にそれでいいのでしょうか。


政治家というのは、少なくとも立ち上がっているんです。
そこから「ぬるま湯」に浸かってしまわない人を、
我々は選ばなきゃならないのです。

そして、彼らが我々を「ぬるま湯」から引き上げようとした時、
責任を持って素直に従わなければならない。

それが、社会が病気にならない方法でしょうね。


……いつの間にかお風呂の話になってましたけど、
ぼくの言いたいことは、「変わること」が重要だということです。
「変わる」と「生きる」は同義だと、ぼくは考えていますので。
ぼくは「死んだ社会」に居たくはありません。


おそらく日本中を変えてしまうんだろうなと思えてしまう
新市長「橋下徹」の力に期待しています。
何もかもを壊してしまえ。
新しいものを築き上げよう。
強大な力が「ぬるま湯」に浸からないように見張りながら、ね?

*1:一字違いだものね。

*2:「橋下さん」と書くと、なんだかありふれた人物に感じてしまいます。あ、全国の橋下さん、ごめんなさい……

*3:政治家にファンという言葉が適切かどうかは知りませんが。